青木幹雄さんを偲んで

2023年06月12日


 県会議員を辞してから2カ月近くになり、議員でない日常に少しずつ慣れて参りました。

 しかし、議員としての用事が無くなったとは言え、引き続き受けている役職もあり、それらの会合に出かける事もございます。そんな折、世の中、まだまだコロナ以前には戻っていない事を痛感し、コロナとの共存生活について改めて考えなくては、と思うこの頃です。

 今朝(6月12日)テレビで国会中継を見ておりましたら、画面に青木幹雄先生の訃報を知らせるテロップが流れました。ついにこの時が来てしまったかと、一瞬、時が止まった様な思いでございました。そして一緒に見ていた家内と、しばし思い出を話しておりました所へ、あちらこちらから、青木先生を偲ぶ電話が掛かって参りました。

 自民党県連会長の私としましては、ご子息の参議院議員、青木一彦さんの意見を伺いながら、県連の名誉顧問に相応しい葬儀を......と思っております。

 青木幹雄先生の政治家としての生涯は誠に立派なものであったと敬意を表します。

 青木幹雄さん、浅野俊雄さん、そして私、この三人は、昭和42年の県議選で初当選した同期の桜です。それ以来、幹さん、俊さん、重ちゃんと呼びあって長い間、良いお付き合いをさせて頂きました。2年前に浅野さん、そして今、青木さん、お二人との別れに、何とも言えない寂しさを感じております。年齢順に旅立たれましたので、次は私の番かと覚悟を決めてはおりますが、私は、お二人から受けたもろもろのご恩を励みに、もう少し頑張ってみようと思っておりますので、変わらぬご支援をどうかよろしくお願い致します。



最後の県議会

2023年03月05日


 寒かった冬もようやく終わり、やっと春を迎えようとしています。やがて年度も変わり、次の4年間の県政を左右する統一地方選挙が間もなく実施されます。何かと気ぜわしく感じられる今日この頃です。

 4年前に議席を得た現職の議員たちが務める今期最後の県議会は、2月13日から始まり、3月3日、無事に終了いたしました。私にとりましては特に印象深い最終日となりました。

 私ごとで恐縮ですが、家内と長男、次男が、三人そろって初めて島根県議会の本会議場を訪れ、私が自席につく所を傍聴席から見守ってくれたからです。

 私が県議会議員だという事を、家族があらためて認識してくれた瞬間だったのではないでしょうか。三人は、午前中の審議を傍聴すると、県議会の正面玄関で記念写真を撮って帰っていきました。

 これは、私の最後の県議会を、二人の息子と一緒に傍聴しておきたいという、家内のたっての願いから実現した事でした。政治家としての父の後を継がないと決めている二人の息子達に、長年の仕事場だった議場での父の姿をどうしても一度は見ておいて欲しいという思いからの事で、息子たちも議場にいる私を見て感無量だった様です。

 家内はこれまでにも、私が議長として議長席に座っている時や、代表質問で演壇に立った時などに「傍聴に行きたい」と何度か言った事がありましたが、一度も実現しませんでしたので、とても感激した様子でした。

 昭和42年に初当選して以来、議会最終日を何度経験してきた事か? 県議会は、1年に4回開かれる事になっておりますので、皆さん、計算してみて下さい。いやはやこんなにも多く務めさせて頂いたのか......と今更ながら長い間ご支援下さった方々への感謝の気持ちでいっぱいです。

 4月末日の任期満了まで、大過なく務めが果たせます様に、と念じながら精一杯頑張ります。



県議選不出馬にあたってのご挨拶

2022年10月12日


 昭和42年の初当選を含め、14回の県議選を戦い、お陰さまで14回連続当選させていただきました。長い間ご支援いただいた皆さま方には、心からの感謝を申し上げます。昭和42年の当選組には元参議院議員の青木幹雄さん、昨年亡くなられた元県議の浅野俊雄さんがおられ、共に県民のため、市民のためにと切磋琢磨したものです。

 来春の選挙に出馬しないと決めた今、これまでの事を思い出し、改めて自分の議員としての役割は何だったのか?と、自問自答しております。田部、伊達、恒松、澄田、溝口、そして現在の丸山知事、これら6人の知事と時代を共有させてもらい、それぞれに色々な思い出があります。

 この間、沢山仕事をさせていただきましたが、私の役割は、常に調整役だった様な気がしております。知事及び県の執行部と県議会、県と中央の役所、県と松江市、県議会内部、などなど。平成になって松江市と近隣の町村との大合併が行われましたが、鹿島町との合併では、原発問題をライフワークとしていた私は、原発立地町の鹿島町と松江市は合併すべきとの考えから、松浦市長と青山町長の間に入り、何度も会合を重ねて合併を実現させた事を思い出します。青山善太郎町長とは松江高校の同期生として今でも親しくお付き合いいただいております。

 思い出多い仕事として、平成27年の松江城国宝化があります。選挙の公約の一つにしておりましたので、長年の念願が叶ったことを市民の皆さんと一緒に喜びました。そしてもう一つ、国宝松江城マラソンを実現させた事であります。長い間、県陸協の会長をつとめ、スポーツの力で地方創生を....と言って参りましたので平成30年の冬、スタートの号砲を聞いた時の感激は忘れられません。このマラソン大会が松江市の冬の行事として根付いてくれる事を切に願っております。

 長い年月には喜ばしい事ばかりではありませんでしたが、周りの皆さまのお陰でつつがない議員生活を送らせて頂きました。84才と8ヶ月になりそろそろ肩の荷を下ろす時が近づいて来ました。残すところ半年あまり、来年4月末までの任期中は、議員としてのつとめを精一杯果たして参ります。後は若い人たちに希望を持って託したいと思います。